この部屋

好きなこと日々のことを詰め合わせ。

28歳の夏 1日だけの保護室

恥ずかしながら、精神疾患を患ってはや10年くらい。

小中から異変は感じていたから、もっと長いかもしれない。

記念すべきこの10周年の年に1日だけ、精神科に入院してきました。しかも保護室

保護室とはなんぞやと思われる方も多いでしょうが、イメージとしてはこんなところです。

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昔は、窓に鉄格子が嵌められていたり、それこそ扉自体がなかったりと、それはそれは恐ろしい場所というイメージでしたが、近年はそこそこ快適に過ごせるように工夫されているようです。

 

保護室は精神科の中でも、希死念慮の強い人、自傷の可能性がある人、または暴れたりする人の安全を確保するためのお部屋で、外から完全に鍵がかけられていて、自分で外に出ること、私物を持ち込むことは一切できません。

 

なので、部屋の中にトイレが直置きされていたり、まずベッド以外の家具はなにもなかったり、イメージとしては独居房です。

食事をするときは、ダンボールの簡易テーブル?を持ってきてもらい、それで食事をとります。食べ終わればそれはまた回収。

そして、わたしはパニック発作の中で希死念慮がとても強かったので、自殺防止にベッドさえ撤去され、体育で使うようなマットレスと軽いお布団だけで一晩と半日以上を過ごしました。

 

 

まぁ、お堅い話は抜きにして、ここからはわたしのツイートまとめ。ツイートだと流れて行っちゃうので自戒を込めて、です。

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こうやって読み返すとばかちんのかたまりです。

自分が苦しくて望んで精神救急に行ったのに、保護室に耐えられなくて(あと、このままここに置いておくとヤバイ)という理由で退院するなんて、病院にとっては迷惑そのものだろうな、、と思います。

 

病院には心からの感謝とお詫びをしたいのですが、保護室はシラフに戻った人間の居るところではないと、今回の件で実感しました……

隣の部屋の方は元気に叫び続けておりましたが、外界からの刺激が全く遮断されている環境では時間が経たずとても苦しかった。

もし貰えるならば新聞、本、いや、紙と鉛筆だけでもよかった。

自分の頭の中の空想と反省だけで日を過ごすには24時間はあまりにも長すぎました。

 

途中何度も気が狂いそうになり、歌を歌ってみたり、筋トレをしてみたり、一人で壁をピアノに見立てて、指ピアノをしてみたり、、、だんだんと行動はおかしくなっていきました。

 

また、時間が経つごとに、本当は治療しにきたはずの絶望感がどんどん増して、人間の存在意義とはなんだ、、こんな部屋に(失礼)いれられてしまう自分なんて人として無価値になった。と、爪楊枝の先ほどのわたしの自尊感情は潰れました。

 

これだけは言えるけれど、この病院は悪くないです。

看護師さんたちも天使のように優しかったし、

はじめての精神科入院のわたしのために精一杯気を使ってくれた。

だけど、もう二度と保護室だけはごめんだ。とたった1日にも満たない入院で痛感しました。

 

もう二度とへんなことをしないように

生きる為には、充分すぎる経験でした。

 

もーめっちゃ辛くて。

家に帰って、すこし泣きました。